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東京の地名の由来
11 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/08/01 10:02 ID:
八重州は、ヤン・ヨーステン
有楽町は、織田有楽斎
55 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:04/08/29 14:50 ID:
日本橋三越前にはヤン・ヨーステン君の親友のウイリアムアダムス氏の
日本名 「按針通り」 がありますよ。
★他ブログオススメ記事
13 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/08/01 14:48 ID:
江戸開府時、輸送については道中伝馬役を設け、今の皇居前に当たる千代田、宝田
両村民の役とした。後に江戸城が拡張された時に、この両村が城内に入ってしまったので
住民を埋立地に移し、これが大伝馬町、南伝馬町、小伝馬町となった。
15 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/08/01 17:55 ID:
まあたいてい上方の地名をそのまま
つけたケースが多いね
17 名前:いわみ[sage] 投稿日:04/08/01 18:16 ID:
上野の起源は伊賀の上野
藤堂高虎が自分の故郷の名前をつけた
36 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/08/08 03:13 ID:
>>17
東京上野の地名については各種あります。
http://www.ict.ne.jp/rekishi/ueno.html
26 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:04/08/02 02:07 ID:
大田区 大森+蒲田
国立市 国分寺と立川の間だから
合成地名もけっこう多い。
48 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:04/08/13 11:29 ID:
両国 武蔵・下総の両国を結ぶ両国橋が架かったから。江戸時代の武総国境は隅田川だった。
紀尾井坂 紀州徳川家・尾張徳川家・井伊家の屋敷があったことから。
94 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:05/01/17 03:19:16 ID:
神田駿河台
徳川幕府が江戸にその居城を構える際、大勢の三河武士を天下統一の前の領地
(現在の静岡・愛知あたり)より連れていきました。のち大久保彦左衛門で有
名になる大久保家もその中の一家です。この時既に家康の4大危機の一つ、一
向一揆の終結時の活躍で名家と言われていました。大久保家がその居を構えた
のが今の神田須田町であり、のち大久保家が有名になるほど(江戸上水道開通
-神田上水-の功労者、大久保(忠信)主永/「三河物語」の大久保彦左衛門
など)三河・尾張の出身の人々(武士だけでなく大工や商人・町人まで)が集
まり、居住する場所となり駿河台と呼ばれるようになったそうで
95 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:05/01/17 03:20:59 ID:
四谷
農家が四軒のみだったため「四つの家の原」と呼ばれていたが、
後に家が増えたことから四谷となった。
96 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:05/01/17 03:21:35 ID:
神田
伊勢神宮へ稲を奉納する田んぼを神田といい、全国にあった。
神田もその地の一つであったことからこの名がついた。
97 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:05/01/17 03:22:43 ID:
銀座
慶長に銀座が開かれ銀貨を鋳造した。
享保年間に銀座そのものは蠣殻町に移転したが、地名は残った
98 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:05/01/17 03:23:34 ID:
新宿
江戸時代、甲州街道は起点である日本橋から最初の宿駅である高井戸まで4里
(約16km)という距離であり、起点と宿場までの間が長いため、多くの旅人が
難儀していた。そこで1698年、この地に新しい宿駅が設けられた。信州高遠藩
主であった内藤氏の下屋敷があった地であるため、内藤新宿と称したことに起
因している。この下屋敷が現在の新宿御苑であり、御苑のある地名も「内藤町」
となっている。
99 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:05/01/17 03:25:04 ID:
アメ横
アメ横の始まりは、戦後すぐに闇市(許可を得ていないで商売をする市場)が出来、
その後、復員者たちでつくった団体が国鉄のガード下を借り受け、 希望者に貸し出
しました。
錦糸町でサツマイモのでんぷんで飴をつくっていた業者が店を借りて商売を始めると、
砂糖が買えない時代だったので飛ぶ様に売れ、いろいろな種類の飴を売る店が100軒
ほども集まったそうです。ここから「アメ屋横丁」と呼ばれる ようになったそうです。
また、朝鮮戦争(1950年)ごろから、米兵達が小遣い稼ぎに様々な物資を持ち込んで、
アメリカ軍の物資が大量に出回りました。こうして「アメリカ横丁」とも呼ばれたそう
です。「アメ屋横丁」と「アメリカ横丁」が混ざって「アメ横」となったそうです。
100 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:05/01/17 03:26:18 ID:
池袋
昭和62年9月池袋西口に完成したテーマ広場には、池袋の地名の由来が記されている。
池袋村の東北部が袋状の窪地になっていたから、
付近一帯に大小無数の池があったから、
池(丸池)から袋を背負った亀が現れたから
という3つの説。
114 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2005/03/26(土) 12:16:45 ID:
浜松町の由来は、静岡県の浜松ですか?
116 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2005/03/26(土) 12:29:05 ID:
>>114
そうです
江戸時代(元禄)にこのあたりの土地の名主だった者の出身地にちなんで名づけられました。
119 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2005/03/26(土) 16:55:19 ID:
信濃町:江戸時代に大和櫛羅藩主・永井信濃守の別邸があったことから、一帯を信濃原あるいは信濃殿町あるいは信濃町と称していた。
鹿骨(ししぼね):室町時代には存在したことが文献から確認できる。もちろんもっと古い時代からあった地名だろうが。江戸時代は武蔵国葛飾郡鹿骨村。
120 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2005/03/26(土) 19:04:10 ID:
新宿・百人町
江戸時代、幕府警護のために鉄砲隊が組織され、これを「百人組」といった。
「百人町」の名前は、この界隈に内藤清成が率いていた
伊賀組百人鉄砲隊の同心屋敷があったことから名付けられた。
現在は <丶`∀´>タウン
160 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2005/04/05(火) 02:30:19 ID:
外人は聴いた音をそのまま文字にする。
東京は明治時代仮名で書くとトウケウだったが
英字新聞の表記は Tokio だった。
してみるとトウキオと発音したものらしい。
161 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2005/04/05(火) 02:43:55 ID:
>>160
京都はKiotoと書かれている。
163 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2005/04/05(火) 15:06:02 ID:
>>160
日本だってカナ化はそうだよ。イスパニアは英語から拝借のスペインより遥かに
原音に忠実。なぜイスパニアがスペインに駆逐され、ドイツは残ったのか…
これは一考の余地ありかな。
179 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2005/04/22(金) 20:55:25 ID:
秋葉原は約10ブロック四方の区域を指す。江戸時代はここに下級武士が住み,けんかや火事が絶えなかった。
1869年の壊滅的な大火災の後,火除けの神「秋葉大権現」を奉る神社が建立された。
この神社に由来して界隈が秋葉原と呼ばれるようになり,後に「あきはばら」という読み方が定着した
上記はHPからコピペしたんだけど、俺が聞いた話では江戸の大火で秋葉原地区一帯を防火帯として建造物
が許されず一帯は、ぺんぺん草の生えた原っぱでそのことから「空いた場所の原っぱ」から秋葉原というんだけど
どうですかね。
182 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2005/04/24(日) 00:20:45 ID:
六本木という地名の由来は、その名の通り6本の松の木があったからとか、
あるいは、上杉、朽木、高木、青木、片桐、一柳という樹の名の大名屋敷
が6つあったからとか様々な説があります。 六本木が市街として形成され
たのは、江戸時代に入ってからのこと。徳川2代将軍秀忠夫人の葬儀に功績
のあった僧侶たちが、人気のない寂しいこの地に4つの寺を建て、門前町を
開いたことに始まります。
184 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2005/04/24(日) 10:14:57 ID:
芋洗坂では芋を売っていません。
太田道灌が一口稲荷を勧請したからです。
「いもあらい」は疱瘡(いも)を洗う(取り除く)というのが語源ではありません。
「一口」で一円地を意味し「地貰(じもらい)」が訛ったものです。
185 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2005/04/25(月) 22:50:08 ID:
弥生土器は東京都文京区弥生で見つかった。(当時は東京市本郷区弥生町)
198 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2005/06/23(木) 00:43:43 ID:
青山は美濃国郡上八幡藩主の青山氏からだっけ?
200 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2005/06/27(月) 02:11:23 ID:
>>198
家康があの辺に鷹狩に来てて、お供してた青山さんに
「見渡す限りの土地を遣わそう」ってんで拝領しました。
203 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2005/06/30(木) 09:18:21 ID:
麻布、調布、狛江は、朝鮮起源
調布から狛江にかけては古くは狛江郷と呼ばれた。高麗(朝鮮半島)から先進文明を
携えた渡来人が多数住み着き、狛江と言う地名が生まれた。一方、特産物(調)とし
て朝廷に献上した布地を調布と言ったことから調布の名が生まれた。調布を作る技
術は、これらの渡来人達が伝えたものと思われる。万葉の昔、狛江郷一帯は麻の栽
培がさかんで、麻から織られた麻布は白く柔らかくするために多摩川で晒された。万
葉歌に詠われた様に、高台から多摩川を見下ろせば、白い素足を覗かせた里の娘
達が多摩川の流れで調布を晒らす光景が見られたことであろう。狛江郷における渡
来人の足跡は、深大寺の創建にまつわるロマンスや狛江百塚等に見ることが出来
る。
5,6世紀の朝鮮半島は高句麗や新羅の力が強く、百済は圧迫されて日本へ遁れ
てくる者が多かった。彼等渡来人は高度な先進技術を保有していたので、大和朝廷
は彼等の力を借りて多摩川流域等未開の武蔵国の開拓に当たらせた。天智天皇の
御世、西暦663年百済は滅亡、続いて668年高句麗が新羅に亡ぼされると、渡来
人の移住は一層加速した。天武天皇14年(685)には百済の僧や尼23人が武蔵に
移住させられたことが記録に残されている。こうした渡来人達の持つ先進技術は東
国における律令国家建設に大きな役割を果たした。
http://homepage3.nifty.com/k_harada/komaego/komaego.htm
204 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2005/06/30(木) 15:35:55 ID:
めぐろ はいつから
めぐろ(目黒)の地名は、「め」が馬、「くろ」は畔を意味し、馬の牧から起こった地名とされ、目黒区「駒場(こまば)」、
「駒沢」、「馬引沢」などの地名があり、いずれも古代の牧の名残とされます。
平安時代には、世田谷を含めた一帯に「菅刈荘」(すげかりのしょう)と呼ばれる荘園があり、それらを管理する集団か
ら武蔵武士が発生したようです。一説には、小野牧を管理する横山党の庶流とされます(渡辺世祐 武蔵武士)。
鎌倉時代には、吾妻鏡(東鑑)や地元の古文書に目黒弥五郎、目黒太郎義政、目黒別所五郎左衛門義盛など「目黒
氏」が活躍したことが伝えられます。
その館跡も存在が想定され、新編武蔵風土記稿には、「目黒氏館」について
『上目黒の東方渋谷村の境にあり、此辺に木立茂りて一村を為せる所あり、此地は昔何人か住せし館地と見えて今も
四辺に溝堀の跡と覚しき堀残れり・・・』としています。真偽のほどは調査にまつとして、目黒高校の近くの「別所台」が
それとされます。
このように、鎌倉時代には、すでに「目黒」が地名として定着していることがわかります。こうなると五色不動の「目黒」
に関しては、江戸時代に新たに付けたのではなく、古代からの伝統とその地名を生かしたことになりそうです。
http://www.asahi-net.or.jp/~hm9k-ajm/musasinorekisi/gosikifudoutomusasino/megurofudou/megurofudou.htm
207 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2005/07/15(金) 13:37:25 ID:
調布は,布を調(税として物納)しているところ。玉川(多摩川)があるし織物に丁度よい。東調布(大田区)や西調布(青梅市)も多摩川ぞいだな。帰化人(技術者)も多かった。
208 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2005/07/16(土) 02:20:30 ID:
あの辺りには、そういう関連の地名が多いような気がする。
例)国領、布田、飛田給
209 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2005/07/16(土) 05:41:26 ID:
とびたきゅう(飛田給)は且つては ヒデンキュウ と読み、更に前は 悲田給と表記。悲田院(奈良期聖武帝御代に貧しい者、病気の者に慈悲をもって無料で施し、治療をした所。各地にあり)を維持する為に支給された土地。
調布 とは関係ない。まぁこんな施設があるのは、武蔵国衙を初めハケ(国分寺崖線)以南の玉川沿岸が開けていた証左だが
317 名前:日本@名無史さん [] 投稿日:2007/01/07(日) 05:12:07 ID:
飛田=ひでん=悲田がらみネタを一つ。
大阪の最大の赤線遊郭、飛田新地は赤線廃止後尚黙認のうえ営業されている
遊郭街。ここはもともと千日前にあった遊郭が火災になり飛田に移動したもの
で飛田はもともと墓場や斎場の会った場所。
千日前は江戸時代から明治までは処刑場のあったところで、千日前で処刑して
後の流れは飛田で行った。
悲田院町というところが大化の改新の四天王寺にもあり、千日前、飛田、
悲田院、天満を四箇所長吏といった。
悲田院町に悲田院、天満には大坂最大の堀川監獄、千日前は刑場、飛田は斎場と
墓場。
長吏はひにんのような身分のものが執行の役目をになってひにん垣内に住んだ。
現在、悲田院町は寺町、天満は公園や病院、学校、千日前は歓楽街、飛田は
遊郭街、隣の阿倍野に市営の大型墓地となっている。
千日前の賑わいは刑場跡土地を安くで興行師が買って興行を行ったのが
始まり。
244 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2005/10/20(木) 13:22:06 ID:
赤坂の由来 現在、赤坂と呼ばれる坂はない。しかし、赤坂という地名の起源には、いくつかの説があり、
現在のところ、どの説が正しいのか定かでない
その一
赤土の地だから赤坂と称したのではなかろうか。この付近一帯は、関東ローム層と呼ばれる赤土のところ
であるため、そのように言われるようになった説。
その二
むかし茜草(根から赤い染料をとる植物)が多く生じた地だから、茜山と呼んだのを中略してアカサカと称した
という説。
245 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2005/10/20(木) 13:23:19 ID:
その三
紀州屋敷のあたり(現在の元赤坂)を赤根山と言い、赤根山の坂が転じて赤坂という説。
その四
紀伊国坂を古くは、赤坂と称した説。
その五
染物屋甚三が、坂に赤い絹を干したためという説。
その六
東京放送(TBS)のあるところに上る坂が赤土のため赤坂と呼んだという説。
その七
元赤坂の発祥である三宅坂に向かう坂という説。
251 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2005/12/03(土) 05:51:33 ID:
佃島は大阪佃島住民の移住によって‥‥
てガイシュツかな
252 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2006/01/02(月) 01:04:28 ID:
いつごろの話?
255 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2006/01/23(月) 01:30:07 ID:
>>251-252
江戸の街が出来上がる頃の有名な話。
元祖江戸っ子は関西人。
261 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2006/03/02(木) 10:28:16 ID:
乃木坂は乃木将軍の邸宅があったから
267 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2006/04/20(木) 23:30:50 ID:
>>261
乃木坂の古名は幽霊坂だな、江戸各所にあるけどな幽霊坂。
南部坂も2ヵ所ある赤坂と広尾、南部藩上屋敷脇と下屋敷脇の両方南部坂。
歌舞伎の「忠臣蔵」で有名な「南部坂雪の別れ」は赤坂の方。
270 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2006/04/21(金) 16:12:46 ID:
東京に馬喰町ってあるけど教えてください。
276 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2006/05/07(日) 04:36:00 ID:
>>270
馬喰町の由来はその名の通り、徳川家康が関ヶ原出陣の際、馬工郎(馬喰)高木源五兵衛に命じて
厩舎を作らせ、数百頭の馬を飼うために、配下の馬喰(馬方)を住ませたことによる。
だってサー。
275 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2006/05/07(日) 03:13:39 ID:
新橋って言うからにはあな辺に橋があったのかや
280 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2006/05/14(日) 20:43:45 ID:
>>275
新橋駅から銀座へ向かう途中の、埋め立てた堀割に「新橋」が架ってたよ。
しかし西新橋とかいう地名は問題だ。何も知らない人がみたら、そういう名前の橋があると思うよ。
新宿も内藤新宿の略なのに、西新宿とか北新宿とかいう地名は、そういう名前の宿場があったと思われる。
(葛西を分けた)西葛西や北葛西、(砂町を分けた)東砂や新砂。変な地名ばかり…
結局、地方出身者(村民)が都庁や区役所職員、又は郵政官僚となり、自分達が判るように簡単な地名に変えたんだね。
前記の北新宿は柏木、西新宿は角筈と十二社だった。
281 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2006/05/14(日) 20:57:20 ID:
青梅街道の、神田川より西の坂を中野坂(旧・中野村から)、東の坂を成子坂(旧・鳴子村→柏木成子町)と呼ぶ。
神田川に架る橋が淀橋で、旧・淀橋区(牛込区、四谷区と合併して新宿区)の名前の由来。
ヨドバシカメラの名前はここから。
地下鉄『中野坂上』駅は、「なかの-さかうえ」と呼ぶが、本来は「なかのざか-うえ」。中野坂下交差点もある。
340 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2007/05/16(水) 01:58:23 ID:
日暮里はナポリの訛りって聞いたが本当か
342 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2007/05/16(水) 23:23:13 ID:
>>340
「新堀(にいぼり)」が江戸弁らしく「にっぽり」と訛り、その辺りが「日暮(ひぐらし)の里」
と呼ばれていたのにちなんで「日暮里」の字を当てた。
385 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2008/03/16(日) 16:35:22 ID:
品川の由来
http://www.shinagawaku-town.com/history/
338 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2007/05/10(木) 22:04:35
東伏見っつうのがあって、驚いたな。
関西と重なる地名がけっこう多い。
明石町とか住吉町とか。
429 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2008/04/02(水) 17:16:16 ID:
>>338
九州っぽいので東久留米ってのもあるな。
和泉府中と府中市も似てる
430 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2008/04/02(水) 23:03:40 ID:
>>429
つりか?
府中は国府のあったところだから、日本中にあるぞ。
東京の府中は武蔵国の国府だな。大分は豊後国の府中だったな。
ちぢめていう場合もあるぞ。甲斐国府中は甲府、駿河国府中は駿府だな。
駿府は今は静岡だけどね。
431 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2008/04/02(水) 23:11:49 ID:
戦国時代に府中という地名ははよく出てくる
越後府中、駿河府中、越前府中、甲斐古府中、信濃府中
432 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2008/05/05(月) 08:08:25 ID:
あたりまえだろ
450 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2008/09/07(日) 11:19:12 ID:
現在の荒川は河川ではなく昔は放水路だった。
その後、法改正により一級河川荒川となった。
その為、本荒川(旧)は通称の隅田川と改称するに至った。
尚、荒川区の名称は旧荒川を由来とされている。
476 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2008/09/08(月) 17:57:49 ID:
千代田区の地名由来一覧
http://www.city.chiyoda.lg.jp/chomei/html/gd_name.html
477 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2008/09/13(土) 09:52:16 ID:
外堀通:昔皇居の外堀だったが、関東大震災の瓦礫を埋めて今は八重洲のビル街に変身した。
478 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2008/09/13(土) 11:52:41 ID:
紀尾井町:名前の由来は、紀州徳川家・尾張徳川家・彦根井伊家の頭文字をとって、明治5年についたそうです。
375 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2008/03/14(金) 17:10:56 ID:
東京では、○谷を「○や」とよぶ地名が多いが
鶯谷は「うぐいすだに」とよんでいる。
近所には下谷、谷中の地名も見られる
「鶯谷」に何か云われでもあるのか?
376 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2008/03/14(金) 17:25:37 ID:
茗荷谷もあるけど
379 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2008/03/14(金) 19:13:27 ID:
>>376
茗荷谷を忘れてた。しかし「たに」は少数派だろう。
家康入府の頃、京、大坂からついてきた人たちとかと関係ありそうじゃない?
381 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2008/03/15(土) 20:33:27 ID:
>>375
江戸を徳川家康が整備した時に、大坂から商人・技術者を半強制疎開させている。
最初の江戸の町を建設したのは彼らテクノクラートだった。
だからその頃の地名の多くは、関西弁のものが多く残っている。「谷」をタニと
呼び、帰化人が殆んどの坂東者が話す関東弁のように「ヤ」と呼ばない。
関東古地名の多くには、そのようなものが多い。
また、吉宗の時代に新田開発や港湾開発で広がった江戸周辺地名にも、上方の京
都・大阪・奈良等の地名が数多く移植されている。
江戸中期、文化的に低かった江戸は、常に上方文化の影響を受け続けた。上方文化
の流行の5年後を追随していた江戸では関西地名は佳字であるとする時代が続いた。
その名残が東京近郊の地名として数多く残されている。
390 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2008/03/18(火) 20:38:21 ID:
文字通り「谷」valleyの意味ではなく、当て字だと言われてる。
ただし、そもそも関東以外で「や」という読み方は無い。
396 名前:日本@名無史さん[age] 投稿日:2008/03/19(水) 13:58:53 ID:
>>390
「谷」の当て字ってのがありました。
「千駄ヶ谷」です。
江戸時代は一面「萱」の原っぱで、萱を刈ると一日に千駄獲れた。
一駄は荷馬一頭、それが千頭分も獲れたので「千駄萱」
それが当て字で千駄ヶ谷になった。
392 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2008/03/18(火) 21:22:15 ID:
江戸は淀橋台地がもとで、それが川や水流にけずられ、
谷になってる所が多いので○谷と云う地名が多いのだと思い込んでた。
しかし、海岸に近く平らなところに日比谷がある。
「や」は別の意味で当て字かもな。
394 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2008/03/18(火) 21:48:17 ID:
>>392
日比谷は徳川家康入府時は入り江でした。
埋めて武家屋敷を置いたのです。
398 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2008/03/20(木) 22:02:34 ID:
谷地形は、東日本では「沢」と言うはず。
「や」は「やち」「やつ」「やと」で、
水源や湿地などの地形だつたと思う。
近畿の「たに」と東京の「や」は
同じ「谷」でも意味が違う。
405 名前:日本@名無史さん[age] 投稿日:2008/03/21(金) 17:54:10 ID:
>>398
そう言えば、神田川は外堀過ぎてからかなり深いところ流れているが
「○たに」という地名は無いよな。
「や」は段丘が侵食されて、沖積した低い湿地帯という認識でよいかな?
407 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2008/03/21(金) 22:31:16 ID:
>>405
だってあれ、人工の掘割だもん
413 名前:日本@名無史さん[age] 投稿日:2008/03/22(土) 11:51:28 ID:
>>407
知らなかった、川の名前があるから天然の河川とは限らないわな。
竪川とか小名木川とか考えりゃよかった。
414 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2008/03/22(土) 12:19:04 ID:
>>413
本来、神田川は平河といって、家康が関東に移封する前は日比谷入江に注いでいた
この時の流路は日本橋川から竹橋辺りで今の三の丸内堀を流れていたと思われる
次に開幕前に平河を江戸前島の根元を開削した道三堀と貫通する外濠に流れるように
改修している
最後に神田山を掘割り、浅草橋から隅田川に通したのが現在の神田川
城域の拡大にあわせて、平河=神田川はその外濠として南から東へと流路を変更されて
いった
415 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2008/03/22(土) 12:27:36 ID:
仙台出身の私は御茶ノ水を通る時いつも眼下の神田川を感慨深く眺めています
編集元:日本史板
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1091260814/
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誰か東京の地形分かる資料知らない?
東京行ったら坂多くてびっくりした。
でもビルだらけでよく分からん。江戸ごろは今のうちの地元みたいに山や谷など地形が分かってたんだろうな。
大阪はまっ平だった気がするが何で大阪なんだろ
* by 名無し@ベアード
書きそびれたからここに書く
一周年おめ
* by 名無し@ベアード
おなじく一周年おめでとうございます
* by 名無し@ベアード
下が1000埋まって書けなかったから
お誕生日おめでとう
* by 名無し@ベアード
まさかの日本史板www
* by 名無し@ベアード
同じく1周年おめでとうございます
* by 名無し@ベアード
この勢いなら1000ゲット!!
おめでとうございます
* by 名無し@ベアード
関東平野って言うわりには坂多いな
* by 名無し@ベアード
由来って面白いよな
* by 名無し@ベアード
東京とか南関東は、縄文時代海中だったから坂が多いらしい
* by 名無し@ベアード
坂や谷ネタでひとつ。
渋谷は字の通り谷である。
銀座線が地上三階部分を走ってるのは地下から上がってきたわけではなく、表参道の駅と渋谷駅の高さが大してかわらないから。
マークシティの西側に道玄坂上の交差点があるけど、そこはマークシティの4階部分に当たる。
* by 名無し@ベアード
あと少しで1ケタ・・・
ていうか俺のリアル苗字"目黒"って言うんだが、
同じような理由なんだろうか?
* by 名無し@ベアード
※15
先祖がパンダだったとか
* by
また東京の傲慢か。
東京の地名は日本人全員が知っていて当然だと思ってるんだろうな。
* by VIPPERな名無しさん
赤羽の俺が来たよー
由来?そんなの知らねーよ
* by VIPPERな名無しさん
ベア速一周年おめでとう。
こういう話は大好きだ。合併や再開発で古い地名が消えていくのは残念…頻発災害や地質がわかって便利なのにな。
※11
関東平野はいくつかの地層に分かれていて、かなり段差がきつい。
山手線の線路は窪地を走っているように見えるが、あれなんかは断層をそのまま利用している。
* by 名無し@ベアード
ベア速一周年おめでとう
* by 名無し@ベアード
三軒茶屋は「ぢゃや」だからフリガナ表記になぜか違和感を覚えてしまう。
* by 名無し@ベアード
中仙道最初の宿場町の板橋はそのまんま橋の名前が地名になったんじゃなかったっけか。んでそのまま区の名前にも。
今でも残ってたっけ?
* by この名無しどもめ!
代々木の由来は、「代々、大木が育つ」だったか?
* by 名無し@ベアード
西東京市の俺参上!
名前の由来?
選挙でwwwwwwwwwwwwwwwwwダサすぎwwwwwwwwwwwwww
こんな名前いやだwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
宛名が「東京都西東京都」wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
間違えないでくれwwwwwwwwwwwwwww悲しくなるからwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
* by 名無し@ベアード
お茶の水は天皇か将軍に飲ますお茶の湧き水が取れるからだっけか
* by VIPPERな名無しさん
置いてけ堀の由来しか知らねーや
* by 名無し@ベアード
趣旨が違うかもだが、目黒の話で五色不動に関するうんちく。
目黒の他に目白・目赤・目青・目黄という五色不動が存在する。
それぞれが風水に乗っ取って東京(江戸城)を守るように配置されており、方向的に目黄が鬼門に当たるものだった。
そして現代、その鬼門と裏鬼門を一本の線で繋ぐと、見事に国会議事堂の中心を通るらしい。
結構有名な話かもしれん。既出だったらすまそ。
* by 名無し@ベアード
>>4
大阪文化が発展したのは上町台地。
上町には大きな坂があるから。…だったと思う。
* by 名無し@ベアード
文京区春日からー
由来は春日局の墓らしい
区役所の近くに銅像が建ってる
* by 名無し@ベアード
1周年おめでとう。
管理人のセレクトはかなり好き。
これからもぼちぼちテンポで息長くやってよ。
* by 名無し@ベアード
ちなみに新橋は、江戸の花柳界で大変に嫌われた粗野な薩長をはじめとした田舎もんを隔離する位置づけで置かれたエリア。泥酔大立ち回り、代金踏み倒し、芸者への暴行事件が頻発するんで、頭を痛めた政府の苦肉の策だった。
* by 名無し@ベアード
お台場
黒船到来の時に幕府が大砲の台をおいた場所だから台場。。。らしいよ
* by 名無しさん
中野坂付近から
子供のころ御茶ノ水は川の色が緑(=緑茶の色)だからそう呼ぶんだと思ってた。
* by 名無し@ベアード
しょんべん横丁の由来は、店に便所が無く公衆便所が少なくて、
酔っ払いがみんな線路に向かって放尿してたから。
ちなみにTV的にNG
* by 名無し@ベアード
渋い記事持ってきたなー。
読み込んじゃったよ。
* by 名無し@ベアード
日暮里ってアイヌ語じゃないの?
* by 名無し@ベアード
アイヌってどういうことだよ
せめて説明してってくれ
* by 名無し@ベアード
西東京市になったせいか、田無と保谷が全く出てこなかったな
* by 名無し@ベアード
半蔵門が出てこなかったのが意外
由来:服部半蔵が警備していた江戸城半蔵門
* by 名無し@ベアード
米38
田無は川がなくって水田がなかったから、「田んぼが無い」で田無
保谷は権力者の苗字が「保谷」だったから保谷
でいいのか?
俺は旧田無だから保谷の方は自信ないけど。
ちなみに旧田無には田んぼがある。
東大農場の中に、実習のために、かな。
* by 名無し@ベアード
※17同意
東京わからん
* by 名無し@ベアード
ドマイナーだけど
近所の加賀@板橋区の地名は加賀藩の下屋敷があったから…。
まんまやん。
* by 名無し@ベアード
八王子ってやっぱり王子が八人いたからなのか?
* by 名無し@ベアード
何か地元の名前が出ててうれしかったw
* by 名無し@ベアード
※18
赤羽は「赤埴」が由来な希ガス。
地名の由来は漢字じゃなくて音に頼った方が探りやすい。
むしろ漢字を意識すると間違うことが多いよ。
* by 名無し@ベアード
田無は田無しで畑じゃねえのけ。
それより新宿について淀橋の由来知りませんか。
淀橋駅って新宿駅?いつ変わったん?
* by 名無し@ベアード
王子の由来は?
* by 名無し@ベアード
ベア速イイヨー
* by 名無し@ベアード
米43
そうだよ
http://ja.wikipedia.org/wiki/八王子市の歴史
>牛頭天王の八人の王子神である「八王子権現(はちおうじごんげん)」が祀られていたのを城の鎮守とし、八王子城と名づけた。
>この城名が市名の由来であり…
* by 名無し@ベアード
※46
淀橋は >>281 に由来が書いてあるでしょ。
神田川にかかる橋だって。
* by 名無し@ベアード
※47
若王子権現の社(現王子神社)があったことからついた地名
八王子と一緒
* by VIPPERな名無しさん
錦糸町
江戸七不思議のひとつに「置いてけ堀」というのがある。
本所にあるその堀はよく魚が釣れるんだが、釣りを終えて帰ろうとすると
「おいてけー、おいてけー」とどこからともなく声がする。
ビックリして逃げ出しても、魚が入っていたはずの魚篭が空になっているというもの。
その堀の名前が「錦糸掘」
この「錦糸掘」があったのが錦糸町付近と言われてる。
ちなみに「置いてけぼりにされる」や「置いてけぼりを食らう」の「置いてけぼり」はこれが語源。
* by 名無し@ベアード
一方、さいたまは、単に平仮名にしただけだったのである・・・
* by 名無し@ベアード
東京都=東の京都
下町で有名な深川も大阪商人の深川さんから、でいいのかな
元市民 * by 名無し@ベアード
東久留米は黒目川(くろめがわ…市内を流れる河川)から来たと小学校の校長先生が昔言ってた
由来は川に落ちた葉がくるくる回るからとか
元々久留米という地名だったが九州の久留米と被るため、市区町村にまとめる時に東を冠したとか…
Wikipedia先生によると諸説あるらしいね
* by 名無し@ベアード
亀有はもともとは亀無だったが、縁起が良くない(するめをあたりめって言うのと同じ)ので亀有に改称した。亀自体も縁起がいい生き物とされてるから、それもあったと思う。
* by 名無し@ベアード
↑こち亀ですね、わかります
* by 名無し@ベアード
西東京の話題出てたw
保谷は戦国時代に東伏見に館があったらしい保谷氏から来てる気がするけど、
同じころには小槫保屋っていう地名もあったみたいだから、
本当はどちらが元になってるのかは判らないなぁ。
そもそも保谷氏の詳しい資料も無いみたいだし。
小槫は昔にこの辺にあった、小槫村から来てるのかな?
* by naomedi
麻布十番:治水工事工区 10番目 だったから。
* by 名無し@ベアード
神田東松下町はあるのに神田西松下町は無い
神田東紺屋町はあるのに神田西紺屋長は無い
神田西福田町はあるのに神田東福田町は無い
神田○○町と書いてかんだ○○ちょうと読むが、
唯一御茶ノ水近辺の神田小川町だけ、かんだおがわまち
* by 名無し@ベアード
町は「ちょう」と「まち」と二通りに読むが
「まち」は主に武士の住む場所で、「ちょう」は町人の住む場所。
ただし後から「町」が付けられて武士の役職由来の地名なのに
「ちょう」となっている例外もある。
* by この名無しどもめ!
武蔵野市の「吉祥寺」は江戸時代の大火で焼け出された
駒込にある吉祥寺近隣の住人が避難したからつけられた名前。
吉祥寺に吉祥寺はないw
* by 名無し@ベアード
※4※28
大阪はもともと「おさか」
「お」はただの接頭語、「さか」は※28の通り上町台地の坂のこと。
石山本願寺を「大坂御坊」として建立したのが始まりだけど、読みはずっと「おさか」のままで、「おおさか」と伸ばすようになったのは結構最近らしい。
佃島の話があったけど、そもそも佃は荘園の領主の土地を指す地名で他にも結構残る地名。
ついでに月島は「築島」のこと。つまり埋立地のこと。
* by VIPPERな名無しさん
足立区の梅田は荒川河口を「埋めた」から。
以下詳細wiki
>風土記の記述によると、その昔この地域一帯は海に面した河口付近の沿岸地帯であったという記述が見られる。
>大河の河口部に当たるために堆積物が広がり、そこを埋め立てして新田が開かれたという。埋め立てられた
>低湿地帯のこの土地を「埋田」と呼び、それが美称されて「梅田」となったという。この地域は東京湾からも
>遠くなく、旧荒川(隅田川)が蛇行しながら流れている状況から、梅田が開発された頃は梅田付近が東京湾の
>入り江で、荒川の河口に隣接していたのだと推測される。
* by 名無し@ベアード
三宿はないの?
* by 名無し@ベアード
秋葉原が「秋葉神社の社領地」→「秋葉っ原」→「秋葉原」
「アキバ」てのは地方人があの字面を「あきばはら」と読むのを揶揄したのが始まりらしいけど、歴史的には「あきばはら」で正しい。
「アキハバラ」になったのは、旧国鉄が駅名を決める時に無理矢理この呼び名にしてしまったからだとか。
* by 名無し@ベアード
地名の由来にかつて部落地域であったことも、読み取れたりするのかな?谷がつくと、やばいとか聞いたことがあるが
* by 名無し@ベアード
代々木の由来は
東京大空襲で焼けた。
大木が由来。現在は代々木公園の噴水あたりにあった。樹齢が2000年超えていたらしい
弥生時代の渋谷氏の聖地。
* by 名無し@ベアード
板橋は板でできた橋がかかっていたからって本当?
そんなもんどこにでもありそうだが
* by 名無し@ベアード
>部落地域
四谷とか四ツ橋なんかの「四」が付くところは、
屠殺場があった場所ってのが多い。
語源は四つ脚だとか獣(しし)とか言われてる。
江戸時代の獣肉、皮革産業は穢多の独占産業な。
「ろ」「る」の付く地名は流民の集まる場所とか川沿いの部落ってところが多いらしい。
穢多の集落は川沿いに限定されること多かったしな。
被差別とか何とか言ってても、穢多は皮革産業独占してたから結構金持ちだったのよね。
川沿いに住んでたのも、皮なめしたりするためだし。
* by 名無し@ベアード
>60
「まち読み」は神田小川町の他に神田司町(かんだつかさまち)がある。
* by 名無しで何が悪い!
んじゃ多摩地域の地名由来をいくつか
東京都瑞穂町
適当な理由付けになるものがなかったのでそこ等辺の官僚が適当に命名した。
東京都東村山市
地元の山賊、武蔵七党の村山党が支配してたから
東京都西東京市
東京の名前にあこがれたけど東京市は認めないといわれたので西をつけた
神奈川の * by (`∇´ゞ
神奈川にある国府新宿、逗子新宿の地名由来を教えてください
八重州は、ヤン・ヨーステン
有楽町は、織田有楽斎
日本橋三越前にはヤン・ヨーステン君の親友のウイリアムアダムス氏の
日本名 「按針通り」 がありますよ。
江戸開府時、輸送については道中伝馬役を設け、今の皇居前に当たる千代田、宝田
両村民の役とした。後に江戸城が拡張された時に、この両村が城内に入ってしまったので
住民を埋立地に移し、これが大伝馬町、南伝馬町、小伝馬町となった。
まあたいてい上方の地名をそのまま
つけたケースが多いね
上野の起源は伊賀の上野
藤堂高虎が自分の故郷の名前をつけた
>>17
東京上野の地名については各種あります。
http://www.ict.ne.jp/rekishi/ueno.html
大田区 大森+蒲田
国立市 国分寺と立川の間だから
合成地名もけっこう多い。
両国 武蔵・下総の両国を結ぶ両国橋が架かったから。江戸時代の武総国境は隅田川だった。
紀尾井坂 紀州徳川家・尾張徳川家・井伊家の屋敷があったことから。
神田駿河台
徳川幕府が江戸にその居城を構える際、大勢の三河武士を天下統一の前の領地
(現在の静岡・愛知あたり)より連れていきました。のち大久保彦左衛門で有
名になる大久保家もその中の一家です。この時既に家康の4大危機の一つ、一
向一揆の終結時の活躍で名家と言われていました。大久保家がその居を構えた
のが今の神田須田町であり、のち大久保家が有名になるほど(江戸上水道開通
-神田上水-の功労者、大久保(忠信)主永/「三河物語」の大久保彦左衛門
など)三河・尾張の出身の人々(武士だけでなく大工や商人・町人まで)が集
まり、居住する場所となり駿河台と呼ばれるようになったそうで
四谷
農家が四軒のみだったため「四つの家の原」と呼ばれていたが、
後に家が増えたことから四谷となった。
神田
伊勢神宮へ稲を奉納する田んぼを神田といい、全国にあった。
神田もその地の一つであったことからこの名がついた。
銀座
慶長に銀座が開かれ銀貨を鋳造した。
享保年間に銀座そのものは蠣殻町に移転したが、地名は残った
新宿
江戸時代、甲州街道は起点である日本橋から最初の宿駅である高井戸まで4里
(約16km)という距離であり、起点と宿場までの間が長いため、多くの旅人が
難儀していた。そこで1698年、この地に新しい宿駅が設けられた。信州高遠藩
主であった内藤氏の下屋敷があった地であるため、内藤新宿と称したことに起
因している。この下屋敷が現在の新宿御苑であり、御苑のある地名も「内藤町」
となっている。
アメ横
アメ横の始まりは、戦後すぐに闇市(許可を得ていないで商売をする市場)が出来、
その後、復員者たちでつくった団体が国鉄のガード下を借り受け、 希望者に貸し出
しました。
錦糸町でサツマイモのでんぷんで飴をつくっていた業者が店を借りて商売を始めると、
砂糖が買えない時代だったので飛ぶ様に売れ、いろいろな種類の飴を売る店が100軒
ほども集まったそうです。ここから「アメ屋横丁」と呼ばれる ようになったそうです。
また、朝鮮戦争(1950年)ごろから、米兵達が小遣い稼ぎに様々な物資を持ち込んで、
アメリカ軍の物資が大量に出回りました。こうして「アメリカ横丁」とも呼ばれたそう
です。「アメ屋横丁」と「アメリカ横丁」が混ざって「アメ横」となったそうです。
池袋
昭和62年9月池袋西口に完成したテーマ広場には、池袋の地名の由来が記されている。
池袋村の東北部が袋状の窪地になっていたから、
付近一帯に大小無数の池があったから、
池(丸池)から袋を背負った亀が現れたから
という3つの説。
浜松町の由来は、静岡県の浜松ですか?
>>114
そうです
江戸時代(元禄)にこのあたりの土地の名主だった者の出身地にちなんで名づけられました。
信濃町:江戸時代に大和櫛羅藩主・永井信濃守の別邸があったことから、一帯を信濃原あるいは信濃殿町あるいは信濃町と称していた。
鹿骨(ししぼね):室町時代には存在したことが文献から確認できる。もちろんもっと古い時代からあった地名だろうが。江戸時代は武蔵国葛飾郡鹿骨村。
新宿・百人町
江戸時代、幕府警護のために鉄砲隊が組織され、これを「百人組」といった。
「百人町」の名前は、この界隈に内藤清成が率いていた
伊賀組百人鉄砲隊の同心屋敷があったことから名付けられた。
現在は <丶`∀´>タウン
外人は聴いた音をそのまま文字にする。
東京は明治時代仮名で書くとトウケウだったが
英字新聞の表記は Tokio だった。
してみるとトウキオと発音したものらしい。
>>160
京都はKiotoと書かれている。
>>160
日本だってカナ化はそうだよ。イスパニアは英語から拝借のスペインより遥かに
原音に忠実。なぜイスパニアがスペインに駆逐され、ドイツは残ったのか…
これは一考の余地ありかな。
秋葉原は約10ブロック四方の区域を指す。江戸時代はここに下級武士が住み,けんかや火事が絶えなかった。
1869年の壊滅的な大火災の後,火除けの神「秋葉大権現」を奉る神社が建立された。
この神社に由来して界隈が秋葉原と呼ばれるようになり,後に「あきはばら」という読み方が定着した
上記はHPからコピペしたんだけど、俺が聞いた話では江戸の大火で秋葉原地区一帯を防火帯として建造物
が許されず一帯は、ぺんぺん草の生えた原っぱでそのことから「空いた場所の原っぱ」から秋葉原というんだけど
どうですかね。
六本木という地名の由来は、その名の通り6本の松の木があったからとか、
あるいは、上杉、朽木、高木、青木、片桐、一柳という樹の名の大名屋敷
が6つあったからとか様々な説があります。 六本木が市街として形成され
たのは、江戸時代に入ってからのこと。徳川2代将軍秀忠夫人の葬儀に功績
のあった僧侶たちが、人気のない寂しいこの地に4つの寺を建て、門前町を
開いたことに始まります。
芋洗坂では芋を売っていません。
太田道灌が一口稲荷を勧請したからです。
「いもあらい」は疱瘡(いも)を洗う(取り除く)というのが語源ではありません。
「一口」で一円地を意味し「地貰(じもらい)」が訛ったものです。
弥生土器は東京都文京区弥生で見つかった。(当時は東京市本郷区弥生町)
青山は美濃国郡上八幡藩主の青山氏からだっけ?
>>198
家康があの辺に鷹狩に来てて、お供してた青山さんに
「見渡す限りの土地を遣わそう」ってんで拝領しました。
麻布、調布、狛江は、朝鮮起源
調布から狛江にかけては古くは狛江郷と呼ばれた。高麗(朝鮮半島)から先進文明を
携えた渡来人が多数住み着き、狛江と言う地名が生まれた。一方、特産物(調)とし
て朝廷に献上した布地を調布と言ったことから調布の名が生まれた。調布を作る技
術は、これらの渡来人達が伝えたものと思われる。万葉の昔、狛江郷一帯は麻の栽
培がさかんで、麻から織られた麻布は白く柔らかくするために多摩川で晒された。万
葉歌に詠われた様に、高台から多摩川を見下ろせば、白い素足を覗かせた里の娘
達が多摩川の流れで調布を晒らす光景が見られたことであろう。狛江郷における渡
来人の足跡は、深大寺の創建にまつわるロマンスや狛江百塚等に見ることが出来
る。
5,6世紀の朝鮮半島は高句麗や新羅の力が強く、百済は圧迫されて日本へ遁れ
てくる者が多かった。彼等渡来人は高度な先進技術を保有していたので、大和朝廷
は彼等の力を借りて多摩川流域等未開の武蔵国の開拓に当たらせた。天智天皇の
御世、西暦663年百済は滅亡、続いて668年高句麗が新羅に亡ぼされると、渡来
人の移住は一層加速した。天武天皇14年(685)には百済の僧や尼23人が武蔵に
移住させられたことが記録に残されている。こうした渡来人達の持つ先進技術は東
国における律令国家建設に大きな役割を果たした。
http://homepage3.nifty.com/k_harada/komaego/komaego.htm
めぐろ はいつから
めぐろ(目黒)の地名は、「め」が馬、「くろ」は畔を意味し、馬の牧から起こった地名とされ、目黒区「駒場(こまば)」、
「駒沢」、「馬引沢」などの地名があり、いずれも古代の牧の名残とされます。
平安時代には、世田谷を含めた一帯に「菅刈荘」(すげかりのしょう)と呼ばれる荘園があり、それらを管理する集団か
ら武蔵武士が発生したようです。一説には、小野牧を管理する横山党の庶流とされます(渡辺世祐 武蔵武士)。
鎌倉時代には、吾妻鏡(東鑑)や地元の古文書に目黒弥五郎、目黒太郎義政、目黒別所五郎左衛門義盛など「目黒
氏」が活躍したことが伝えられます。
その館跡も存在が想定され、新編武蔵風土記稿には、「目黒氏館」について
『上目黒の東方渋谷村の境にあり、此辺に木立茂りて一村を為せる所あり、此地は昔何人か住せし館地と見えて今も
四辺に溝堀の跡と覚しき堀残れり・・・』としています。真偽のほどは調査にまつとして、目黒高校の近くの「別所台」が
それとされます。
このように、鎌倉時代には、すでに「目黒」が地名として定着していることがわかります。こうなると五色不動の「目黒」
に関しては、江戸時代に新たに付けたのではなく、古代からの伝統とその地名を生かしたことになりそうです。
http://www.asahi-net.or.jp/~hm9k-ajm/musasinorekisi/gosikifudoutomusasino/megurofudou/megurofudou.htm
調布は,布を調(税として物納)しているところ。玉川(多摩川)があるし織物に丁度よい。東調布(大田区)や西調布(青梅市)も多摩川ぞいだな。帰化人(技術者)も多かった。
あの辺りには、そういう関連の地名が多いような気がする。
例)国領、布田、飛田給
とびたきゅう(飛田給)は且つては ヒデンキュウ と読み、更に前は 悲田給と表記。悲田院(奈良期聖武帝御代に貧しい者、病気の者に慈悲をもって無料で施し、治療をした所。各地にあり)を維持する為に支給された土地。
調布 とは関係ない。まぁこんな施設があるのは、武蔵国衙を初めハケ(国分寺崖線)以南の玉川沿岸が開けていた証左だが
飛田=ひでん=悲田がらみネタを一つ。
大阪の最大の赤線遊郭、飛田新地は赤線廃止後尚黙認のうえ営業されている
遊郭街。ここはもともと千日前にあった遊郭が火災になり飛田に移動したもの
で飛田はもともと墓場や斎場の会った場所。
千日前は江戸時代から明治までは処刑場のあったところで、千日前で処刑して
後の流れは飛田で行った。
悲田院町というところが大化の改新の四天王寺にもあり、千日前、飛田、
悲田院、天満を四箇所長吏といった。
悲田院町に悲田院、天満には大坂最大の堀川監獄、千日前は刑場、飛田は斎場と
墓場。
長吏はひにんのような身分のものが執行の役目をになってひにん垣内に住んだ。
現在、悲田院町は寺町、天満は公園や病院、学校、千日前は歓楽街、飛田は
遊郭街、隣の阿倍野に市営の大型墓地となっている。
千日前の賑わいは刑場跡土地を安くで興行師が買って興行を行ったのが
始まり。
赤坂の由来 現在、赤坂と呼ばれる坂はない。しかし、赤坂という地名の起源には、いくつかの説があり、
現在のところ、どの説が正しいのか定かでない
その一
赤土の地だから赤坂と称したのではなかろうか。この付近一帯は、関東ローム層と呼ばれる赤土のところ
であるため、そのように言われるようになった説。
その二
むかし茜草(根から赤い染料をとる植物)が多く生じた地だから、茜山と呼んだのを中略してアカサカと称した
という説。
その三
紀州屋敷のあたり(現在の元赤坂)を赤根山と言い、赤根山の坂が転じて赤坂という説。
その四
紀伊国坂を古くは、赤坂と称した説。
その五
染物屋甚三が、坂に赤い絹を干したためという説。
その六
東京放送(TBS)のあるところに上る坂が赤土のため赤坂と呼んだという説。
その七
元赤坂の発祥である三宅坂に向かう坂という説。
佃島は大阪佃島住民の移住によって‥‥
てガイシュツかな
いつごろの話?
>>251-252
江戸の街が出来上がる頃の有名な話。
元祖江戸っ子は関西人。
乃木坂は乃木将軍の邸宅があったから
>>261
乃木坂の古名は幽霊坂だな、江戸各所にあるけどな幽霊坂。
南部坂も2ヵ所ある赤坂と広尾、南部藩上屋敷脇と下屋敷脇の両方南部坂。
歌舞伎の「忠臣蔵」で有名な「南部坂雪の別れ」は赤坂の方。
東京に馬喰町ってあるけど教えてください。
>>270
馬喰町の由来はその名の通り、徳川家康が関ヶ原出陣の際、馬工郎(馬喰)高木源五兵衛に命じて
厩舎を作らせ、数百頭の馬を飼うために、配下の馬喰(馬方)を住ませたことによる。
だってサー。
新橋って言うからにはあな辺に橋があったのかや
>>275
新橋駅から銀座へ向かう途中の、埋め立てた堀割に「新橋」が架ってたよ。
しかし西新橋とかいう地名は問題だ。何も知らない人がみたら、そういう名前の橋があると思うよ。
新宿も内藤新宿の略なのに、西新宿とか北新宿とかいう地名は、そういう名前の宿場があったと思われる。
(葛西を分けた)西葛西や北葛西、(砂町を分けた)東砂や新砂。変な地名ばかり…
結局、地方出身者(村民)が都庁や区役所職員、又は郵政官僚となり、自分達が判るように簡単な地名に変えたんだね。
前記の北新宿は柏木、西新宿は角筈と十二社だった。
青梅街道の、神田川より西の坂を中野坂(旧・中野村から)、東の坂を成子坂(旧・鳴子村→柏木成子町)と呼ぶ。
神田川に架る橋が淀橋で、旧・淀橋区(牛込区、四谷区と合併して新宿区)の名前の由来。
ヨドバシカメラの名前はここから。
地下鉄『中野坂上』駅は、「なかの-さかうえ」と呼ぶが、本来は「なかのざか-うえ」。中野坂下交差点もある。
日暮里はナポリの訛りって聞いたが本当か
>>340
「新堀(にいぼり)」が江戸弁らしく「にっぽり」と訛り、その辺りが「日暮(ひぐらし)の里」
と呼ばれていたのにちなんで「日暮里」の字を当てた。
品川の由来
http://www.shinagawaku-town.com/history/
338 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2007/05/10(木) 22:04:35
東伏見っつうのがあって、驚いたな。
関西と重なる地名がけっこう多い。
明石町とか住吉町とか。
>>338
九州っぽいので東久留米ってのもあるな。
和泉府中と府中市も似てる
>>429
つりか?
府中は国府のあったところだから、日本中にあるぞ。
東京の府中は武蔵国の国府だな。大分は豊後国の府中だったな。
ちぢめていう場合もあるぞ。甲斐国府中は甲府、駿河国府中は駿府だな。
駿府は今は静岡だけどね。
戦国時代に府中という地名ははよく出てくる
越後府中、駿河府中、越前府中、甲斐古府中、信濃府中
あたりまえだろ
現在の荒川は河川ではなく昔は放水路だった。
その後、法改正により一級河川荒川となった。
その為、本荒川(旧)は通称の隅田川と改称するに至った。
尚、荒川区の名称は旧荒川を由来とされている。
千代田区の地名由来一覧
http://www.city.chiyoda.lg.jp/chomei/html/gd_name.html
外堀通:昔皇居の外堀だったが、関東大震災の瓦礫を埋めて今は八重洲のビル街に変身した。
紀尾井町:名前の由来は、紀州徳川家・尾張徳川家・彦根井伊家の頭文字をとって、明治5年についたそうです。
東京では、○谷を「○や」とよぶ地名が多いが
鶯谷は「うぐいすだに」とよんでいる。
近所には下谷、谷中の地名も見られる
「鶯谷」に何か云われでもあるのか?
茗荷谷もあるけど
>>376
茗荷谷を忘れてた。しかし「たに」は少数派だろう。
家康入府の頃、京、大坂からついてきた人たちとかと関係ありそうじゃない?
>>375
江戸を徳川家康が整備した時に、大坂から商人・技術者を半強制疎開させている。
最初の江戸の町を建設したのは彼らテクノクラートだった。
だからその頃の地名の多くは、関西弁のものが多く残っている。「谷」をタニと
呼び、帰化人が殆んどの坂東者が話す関東弁のように「ヤ」と呼ばない。
関東古地名の多くには、そのようなものが多い。
また、吉宗の時代に新田開発や港湾開発で広がった江戸周辺地名にも、上方の京
都・大阪・奈良等の地名が数多く移植されている。
江戸中期、文化的に低かった江戸は、常に上方文化の影響を受け続けた。上方文化
の流行の5年後を追随していた江戸では関西地名は佳字であるとする時代が続いた。
その名残が東京近郊の地名として数多く残されている。
文字通り「谷」valleyの意味ではなく、当て字だと言われてる。
ただし、そもそも関東以外で「や」という読み方は無い。
>>390
「谷」の当て字ってのがありました。
「千駄ヶ谷」です。
江戸時代は一面「萱」の原っぱで、萱を刈ると一日に千駄獲れた。
一駄は荷馬一頭、それが千頭分も獲れたので「千駄萱」
それが当て字で千駄ヶ谷になった。
江戸は淀橋台地がもとで、それが川や水流にけずられ、
谷になってる所が多いので○谷と云う地名が多いのだと思い込んでた。
しかし、海岸に近く平らなところに日比谷がある。
「や」は別の意味で当て字かもな。
>>392
日比谷は徳川家康入府時は入り江でした。
埋めて武家屋敷を置いたのです。
谷地形は、東日本では「沢」と言うはず。
「や」は「やち」「やつ」「やと」で、
水源や湿地などの地形だつたと思う。
近畿の「たに」と東京の「や」は
同じ「谷」でも意味が違う。
>>398
そう言えば、神田川は外堀過ぎてからかなり深いところ流れているが
「○たに」という地名は無いよな。
「や」は段丘が侵食されて、沖積した低い湿地帯という認識でよいかな?
>>405
だってあれ、人工の掘割だもん
>>407
知らなかった、川の名前があるから天然の河川とは限らないわな。
竪川とか小名木川とか考えりゃよかった。
>>413
本来、神田川は平河といって、家康が関東に移封する前は日比谷入江に注いでいた
この時の流路は日本橋川から竹橋辺りで今の三の丸内堀を流れていたと思われる
次に開幕前に平河を江戸前島の根元を開削した道三堀と貫通する外濠に流れるように
改修している
最後に神田山を掘割り、浅草橋から隅田川に通したのが現在の神田川
城域の拡大にあわせて、平河=神田川はその外濠として南から東へと流路を変更されて
いった
仙台出身の私は御茶ノ水を通る時いつも眼下の神田川を感慨深く眺めています
編集元:日本史板
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1091260814/
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お誕生日おめでとう
おめでとうございます
渋谷は字の通り谷である。
銀座線が地上三階部分を走ってるのは地下から上がってきたわけではなく、表参道の駅と渋谷駅の高さが大してかわらないから。
マークシティの西側に道玄坂上の交差点があるけど、そこはマークシティの4階部分に当たる。
ていうか俺のリアル苗字"目黒"って言うんだが、
同じような理由なんだろうか?
先祖がパンダだったとか
東京の地名は日本人全員が知っていて当然だと思ってるんだろうな。
由来?そんなの知らねーよ
こういう話は大好きだ。合併や再開発で古い地名が消えていくのは残念…頻発災害や地質がわかって便利なのにな。
※11
関東平野はいくつかの地層に分かれていて、かなり段差がきつい。
山手線の線路は窪地を走っているように見えるが、あれなんかは断層をそのまま利用している。
今でも残ってたっけ?
名前の由来?
選挙でwwwwwwwwwwwwwwwwwダサすぎwwwwwwwwwwwwww
こんな名前いやだwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
宛名が「東京都西東京都」wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
間違えないでくれwwwwwwwwwwwwwww悲しくなるからwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
目黒の他に目白・目赤・目青・目黄という五色不動が存在する。
それぞれが風水に乗っ取って東京(江戸城)を守るように配置されており、方向的に目黄が鬼門に当たるものだった。
そして現代、その鬼門と裏鬼門を一本の線で繋ぐと、見事に国会議事堂の中心を通るらしい。
結構有名な話かもしれん。既出だったらすまそ。
大阪文化が発展したのは上町台地。
上町には大きな坂があるから。…だったと思う。
由来は春日局の墓らしい
区役所の近くに銅像が建ってる
管理人のセレクトはかなり好き。
これからもぼちぼちテンポで息長くやってよ。
黒船到来の時に幕府が大砲の台をおいた場所だから台場。。。らしいよ
子供のころ御茶ノ水は川の色が緑(=緑茶の色)だからそう呼ぶんだと思ってた。
酔っ払いがみんな線路に向かって放尿してたから。
ちなみにTV的にNG
読み込んじゃったよ。
せめて説明してってくれ
由来:服部半蔵が警備していた江戸城半蔵門
田無は川がなくって水田がなかったから、「田んぼが無い」で田無
保谷は権力者の苗字が「保谷」だったから保谷
でいいのか?
俺は旧田無だから保谷の方は自信ないけど。
ちなみに旧田無には田んぼがある。
東大農場の中に、実習のために、かな。
東京わからん
近所の加賀@板橋区の地名は加賀藩の下屋敷があったから…。
まんまやん。
赤羽は「赤埴」が由来な希ガス。
地名の由来は漢字じゃなくて音に頼った方が探りやすい。
むしろ漢字を意識すると間違うことが多いよ。
それより新宿について淀橋の由来知りませんか。
淀橋駅って新宿駅?いつ変わったん?
そうだよ
http://ja.wikipedia.org/wiki/八王子市の歴史
>牛頭天王の八人の王子神である「八王子権現(はちおうじごんげん)」が祀られていたのを城の鎮守とし、八王子城と名づけた。
>この城名が市名の由来であり…
淀橋は >>281 に由来が書いてあるでしょ。
神田川にかかる橋だって。
若王子権現の社(現王子神社)があったことからついた地名
八王子と一緒
江戸七不思議のひとつに「置いてけ堀」というのがある。
本所にあるその堀はよく魚が釣れるんだが、釣りを終えて帰ろうとすると
「おいてけー、おいてけー」とどこからともなく声がする。
ビックリして逃げ出しても、魚が入っていたはずの魚篭が空になっているというもの。
その堀の名前が「錦糸掘」
この「錦糸掘」があったのが錦糸町付近と言われてる。
ちなみに「置いてけぼりにされる」や「置いてけぼりを食らう」の「置いてけぼり」はこれが語源。
下町で有名な深川も大阪商人の深川さんから、でいいのかな
由来は川に落ちた葉がくるくる回るからとか
元々久留米という地名だったが九州の久留米と被るため、市区町村にまとめる時に東を冠したとか…
Wikipedia先生によると諸説あるらしいね
保谷は戦国時代に東伏見に館があったらしい保谷氏から来てる気がするけど、
同じころには小槫保屋っていう地名もあったみたいだから、
本当はどちらが元になってるのかは判らないなぁ。
そもそも保谷氏の詳しい資料も無いみたいだし。
小槫は昔にこの辺にあった、小槫村から来てるのかな?
神田東紺屋町はあるのに神田西紺屋長は無い
神田西福田町はあるのに神田東福田町は無い
神田○○町と書いてかんだ○○ちょうと読むが、
唯一御茶ノ水近辺の神田小川町だけ、かんだおがわまち
「まち」は主に武士の住む場所で、「ちょう」は町人の住む場所。
ただし後から「町」が付けられて武士の役職由来の地名なのに
「ちょう」となっている例外もある。
駒込にある吉祥寺近隣の住人が避難したからつけられた名前。
吉祥寺に吉祥寺はないw
大阪はもともと「おさか」
「お」はただの接頭語、「さか」は※28の通り上町台地の坂のこと。
石山本願寺を「大坂御坊」として建立したのが始まりだけど、読みはずっと「おさか」のままで、「おおさか」と伸ばすようになったのは結構最近らしい。
佃島の話があったけど、そもそも佃は荘園の領主の土地を指す地名で他にも結構残る地名。
ついでに月島は「築島」のこと。つまり埋立地のこと。
以下詳細wiki
>風土記の記述によると、その昔この地域一帯は海に面した河口付近の沿岸地帯であったという記述が見られる。
>大河の河口部に当たるために堆積物が広がり、そこを埋め立てして新田が開かれたという。埋め立てられた
>低湿地帯のこの土地を「埋田」と呼び、それが美称されて「梅田」となったという。この地域は東京湾からも
>遠くなく、旧荒川(隅田川)が蛇行しながら流れている状況から、梅田が開発された頃は梅田付近が東京湾の
>入り江で、荒川の河口に隣接していたのだと推測される。
「アキバ」てのは地方人があの字面を「あきばはら」と読むのを揶揄したのが始まりらしいけど、歴史的には「あきばはら」で正しい。
「アキハバラ」になったのは、旧国鉄が駅名を決める時に無理矢理この呼び名にしてしまったからだとか。
東京大空襲で焼けた。
大木が由来。現在は代々木公園の噴水あたりにあった。樹齢が2000年超えていたらしい
弥生時代の渋谷氏の聖地。
そんなもんどこにでもありそうだが
四谷とか四ツ橋なんかの「四」が付くところは、
屠殺場があった場所ってのが多い。
語源は四つ脚だとか獣(しし)とか言われてる。
江戸時代の獣肉、皮革産業は穢多の独占産業な。
「ろ」「る」の付く地名は流民の集まる場所とか川沿いの部落ってところが多いらしい。
穢多の集落は川沿いに限定されること多かったしな。
被差別とか何とか言ってても、穢多は皮革産業独占してたから結構金持ちだったのよね。
川沿いに住んでたのも、皮なめしたりするためだし。
「まち読み」は神田小川町の他に神田司町(かんだつかさまち)がある。
東京都瑞穂町
適当な理由付けになるものがなかったのでそこ等辺の官僚が適当に命名した。
東京都東村山市
地元の山賊、武蔵七党の村山党が支配してたから
東京都西東京市
東京の名前にあこがれたけど東京市は認めないといわれたので西をつけた
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コメント
とりあえず3ゲット
ひとけた?
なんというマニアックな
誰か東京の地形分かる資料知らない?
東京行ったら坂多くてびっくりした。
でもビルだらけでよく分からん。江戸ごろは今のうちの地元みたいに山や谷など地形が分かってたんだろうな。
大阪はまっ平だった気がするが何で大阪なんだろ
書きそびれたからここに書く
一周年おめ
おなじく一周年おめでとうございます
下が1000埋まって書けなかったから
お誕生日おめでとう
まさかの日本史板www
同じく1周年おめでとうございます
この勢いなら1000ゲット!!
おめでとうございます
関東平野って言うわりには坂多いな
由来って面白いよな
東京とか南関東は、縄文時代海中だったから坂が多いらしい
坂や谷ネタでひとつ。
渋谷は字の通り谷である。
銀座線が地上三階部分を走ってるのは地下から上がってきたわけではなく、表参道の駅と渋谷駅の高さが大してかわらないから。
マークシティの西側に道玄坂上の交差点があるけど、そこはマークシティの4階部分に当たる。
あと少しで1ケタ・・・
ていうか俺のリアル苗字"目黒"って言うんだが、
同じような理由なんだろうか?
※15
先祖がパンダだったとか
また東京の傲慢か。
東京の地名は日本人全員が知っていて当然だと思ってるんだろうな。
赤羽の俺が来たよー
由来?そんなの知らねーよ
ベア速一周年おめでとう。
こういう話は大好きだ。合併や再開発で古い地名が消えていくのは残念…頻発災害や地質がわかって便利なのにな。
※11
関東平野はいくつかの地層に分かれていて、かなり段差がきつい。
山手線の線路は窪地を走っているように見えるが、あれなんかは断層をそのまま利用している。
ベア速一周年おめでとう
三軒茶屋は「ぢゃや」だからフリガナ表記になぜか違和感を覚えてしまう。
中仙道最初の宿場町の板橋はそのまんま橋の名前が地名になったんじゃなかったっけか。んでそのまま区の名前にも。
今でも残ってたっけ?
代々木の由来は、「代々、大木が育つ」だったか?
西東京市の俺参上!
名前の由来?
選挙でwwwwwwwwwwwwwwwwwダサすぎwwwwwwwwwwwwww
こんな名前いやだwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
宛名が「東京都西東京都」wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
間違えないでくれwwwwwwwwwwwwwww悲しくなるからwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
お茶の水は天皇か将軍に飲ますお茶の湧き水が取れるからだっけか
置いてけ堀の由来しか知らねーや
趣旨が違うかもだが、目黒の話で五色不動に関するうんちく。
目黒の他に目白・目赤・目青・目黄という五色不動が存在する。
それぞれが風水に乗っ取って東京(江戸城)を守るように配置されており、方向的に目黄が鬼門に当たるものだった。
そして現代、その鬼門と裏鬼門を一本の線で繋ぐと、見事に国会議事堂の中心を通るらしい。
結構有名な話かもしれん。既出だったらすまそ。
>>4
大阪文化が発展したのは上町台地。
上町には大きな坂があるから。…だったと思う。
文京区春日からー
由来は春日局の墓らしい
区役所の近くに銅像が建ってる
1周年おめでとう。
管理人のセレクトはかなり好き。
これからもぼちぼちテンポで息長くやってよ。
ちなみに新橋は、江戸の花柳界で大変に嫌われた粗野な薩長をはじめとした田舎もんを隔離する位置づけで置かれたエリア。泥酔大立ち回り、代金踏み倒し、芸者への暴行事件が頻発するんで、頭を痛めた政府の苦肉の策だった。
お台場
黒船到来の時に幕府が大砲の台をおいた場所だから台場。。。らしいよ
中野坂付近から
子供のころ御茶ノ水は川の色が緑(=緑茶の色)だからそう呼ぶんだと思ってた。
しょんべん横丁の由来は、店に便所が無く公衆便所が少なくて、
酔っ払いがみんな線路に向かって放尿してたから。
ちなみにTV的にNG
渋い記事持ってきたなー。
読み込んじゃったよ。
日暮里ってアイヌ語じゃないの?
アイヌってどういうことだよ
せめて説明してってくれ
西東京市になったせいか、田無と保谷が全く出てこなかったな
半蔵門が出てこなかったのが意外
由来:服部半蔵が警備していた江戸城半蔵門
米38
田無は川がなくって水田がなかったから、「田んぼが無い」で田無
保谷は権力者の苗字が「保谷」だったから保谷
でいいのか?
俺は旧田無だから保谷の方は自信ないけど。
ちなみに旧田無には田んぼがある。
東大農場の中に、実習のために、かな。
※17同意
東京わからん
ドマイナーだけど
近所の加賀@板橋区の地名は加賀藩の下屋敷があったから…。
まんまやん。
八王子ってやっぱり王子が八人いたからなのか?
何か地元の名前が出ててうれしかったw
※18
赤羽は「赤埴」が由来な希ガス。
地名の由来は漢字じゃなくて音に頼った方が探りやすい。
むしろ漢字を意識すると間違うことが多いよ。
田無は田無しで畑じゃねえのけ。
それより新宿について淀橋の由来知りませんか。
淀橋駅って新宿駅?いつ変わったん?
王子の由来は?
ベア速イイヨー
米43
そうだよ
http://ja.wikipedia.org/wiki/八王子市の歴史
>牛頭天王の八人の王子神である「八王子権現(はちおうじごんげん)」が祀られていたのを城の鎮守とし、八王子城と名づけた。
>この城名が市名の由来であり…
※46
淀橋は >>281 に由来が書いてあるでしょ。
神田川にかかる橋だって。
※47
若王子権現の社(現王子神社)があったことからついた地名
八王子と一緒
錦糸町
江戸七不思議のひとつに「置いてけ堀」というのがある。
本所にあるその堀はよく魚が釣れるんだが、釣りを終えて帰ろうとすると
「おいてけー、おいてけー」とどこからともなく声がする。
ビックリして逃げ出しても、魚が入っていたはずの魚篭が空になっているというもの。
その堀の名前が「錦糸掘」
この「錦糸掘」があったのが錦糸町付近と言われてる。
ちなみに「置いてけぼりにされる」や「置いてけぼりを食らう」の「置いてけぼり」はこれが語源。
一方、さいたまは、単に平仮名にしただけだったのである・・・
東京都=東の京都
下町で有名な深川も大阪商人の深川さんから、でいいのかな
東久留米は黒目川(くろめがわ…市内を流れる河川)から来たと小学校の校長先生が昔言ってた
由来は川に落ちた葉がくるくる回るからとか
元々久留米という地名だったが九州の久留米と被るため、市区町村にまとめる時に東を冠したとか…
Wikipedia先生によると諸説あるらしいね
亀有はもともとは亀無だったが、縁起が良くない(するめをあたりめって言うのと同じ)ので亀有に改称した。亀自体も縁起がいい生き物とされてるから、それもあったと思う。
↑こち亀ですね、わかります
西東京の話題出てたw
保谷は戦国時代に東伏見に館があったらしい保谷氏から来てる気がするけど、
同じころには小槫保屋っていう地名もあったみたいだから、
本当はどちらが元になってるのかは判らないなぁ。
そもそも保谷氏の詳しい資料も無いみたいだし。
小槫は昔にこの辺にあった、小槫村から来てるのかな?
麻布十番:治水工事工区 10番目 だったから。
神田東松下町はあるのに神田西松下町は無い
神田東紺屋町はあるのに神田西紺屋長は無い
神田西福田町はあるのに神田東福田町は無い
神田○○町と書いてかんだ○○ちょうと読むが、
唯一御茶ノ水近辺の神田小川町だけ、かんだおがわまち
町は「ちょう」と「まち」と二通りに読むが
「まち」は主に武士の住む場所で、「ちょう」は町人の住む場所。
ただし後から「町」が付けられて武士の役職由来の地名なのに
「ちょう」となっている例外もある。
武蔵野市の「吉祥寺」は江戸時代の大火で焼け出された
駒込にある吉祥寺近隣の住人が避難したからつけられた名前。
吉祥寺に吉祥寺はないw
※4※28
大阪はもともと「おさか」
「お」はただの接頭語、「さか」は※28の通り上町台地の坂のこと。
石山本願寺を「大坂御坊」として建立したのが始まりだけど、読みはずっと「おさか」のままで、「おおさか」と伸ばすようになったのは結構最近らしい。
佃島の話があったけど、そもそも佃は荘園の領主の土地を指す地名で他にも結構残る地名。
ついでに月島は「築島」のこと。つまり埋立地のこと。
足立区の梅田は荒川河口を「埋めた」から。
以下詳細wiki
>風土記の記述によると、その昔この地域一帯は海に面した河口付近の沿岸地帯であったという記述が見られる。
>大河の河口部に当たるために堆積物が広がり、そこを埋め立てして新田が開かれたという。埋め立てられた
>低湿地帯のこの土地を「埋田」と呼び、それが美称されて「梅田」となったという。この地域は東京湾からも
>遠くなく、旧荒川(隅田川)が蛇行しながら流れている状況から、梅田が開発された頃は梅田付近が東京湾の
>入り江で、荒川の河口に隣接していたのだと推測される。
三宿はないの?
秋葉原が「秋葉神社の社領地」→「秋葉っ原」→「秋葉原」
「アキバ」てのは地方人があの字面を「あきばはら」と読むのを揶揄したのが始まりらしいけど、歴史的には「あきばはら」で正しい。
「アキハバラ」になったのは、旧国鉄が駅名を決める時に無理矢理この呼び名にしてしまったからだとか。
地名の由来にかつて部落地域であったことも、読み取れたりするのかな?谷がつくと、やばいとか聞いたことがあるが
代々木の由来は
東京大空襲で焼けた。
大木が由来。現在は代々木公園の噴水あたりにあった。樹齢が2000年超えていたらしい
弥生時代の渋谷氏の聖地。
板橋は板でできた橋がかかっていたからって本当?
そんなもんどこにでもありそうだが
>部落地域
四谷とか四ツ橋なんかの「四」が付くところは、
屠殺場があった場所ってのが多い。
語源は四つ脚だとか獣(しし)とか言われてる。
江戸時代の獣肉、皮革産業は穢多の独占産業な。
「ろ」「る」の付く地名は流民の集まる場所とか川沿いの部落ってところが多いらしい。
穢多の集落は川沿いに限定されること多かったしな。
被差別とか何とか言ってても、穢多は皮革産業独占してたから結構金持ちだったのよね。
川沿いに住んでたのも、皮なめしたりするためだし。
>60
「まち読み」は神田小川町の他に神田司町(かんだつかさまち)がある。
んじゃ多摩地域の地名由来をいくつか
東京都瑞穂町
適当な理由付けになるものがなかったのでそこ等辺の官僚が適当に命名した。
東京都東村山市
地元の山賊、武蔵七党の村山党が支配してたから
東京都西東京市
東京の名前にあこがれたけど東京市は認めないといわれたので西をつけた
神奈川にある国府新宿、逗子新宿の地名由来を教えてください
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